日本では、ライブ配信というとニコ生やUSTREAMに代表されるように、一部のマニアックな人達が使うものというイメージがまだまだ強いと思います。
ところが海外では、Periscope(ペリスコープ)をはじめとして、ライブ配信を普通に楽しむ人が随分と増えたようです。
Periscope は、現在はTwitterが提供しているライブ配信サービスです。サービス開始から2年になりますが、さまざまな機能が追加されて、現在ではパソコンからも配信できるようになりました。
ライブ配信は、パソコンから行うのが普通だった日本とは逆になっているところが、私的にはオモシロイ部分だったりします。
いろいろなツールを揃えることが必要なパソコンからのライブ配信に対して、スマホからのライブは、専用のアプリをインストールするだけです。
それだけ、スマホが強力になったということだと思います。
私も、Periscopeは、かなり入れ込んで(笑)使ってきましたが、それはライブ動画は、これまでのSNSやブログでの投稿の交換とは全く次元の違う、異文化の世界を感じたからです。
先日、久しぶりにライブ配信を楽しむ機会がありましたので、このあたりで、これまでの体験から学んだことをまとめておこうと思います。
◆ ライブ配信では、仲間の輪が一気に広がる
まずは、先日のライブ配信のリンクを左に貼っておきますね。リンク先は、録画になっていますので、スマホでもパソコンでも眺めることができます。
配信をご覧いただくとわかると思いますが、ライブ配信の楽しさ一番は、見に来てくれた人達とのやりとりです。
友達とやり取りをしているように思われるかも知れませんが、ライブ動画で配信を始めると、お互いのライブに行き来が始まって、さらには他の人のライブ配信で視聴者としていっしょだったりということを繰り返すことになります。このため、一気につながりの輪が広がります。
Periscopeは、特にその傾向が強いと思います。
◆ ライブ配信では、その時々の気持ちを共有しやすい
昨年のことになりますが、札幌市内で毎年開催される『よさこい』をライブ配信した時に感じたことがあります。
実は何を隠そう、会場でよさいこいをみるのはその時が初めてでした。想像していた以上に迫力があって、「うゎ、これスゴイ!」と思ったわけですが、それと同じことをライブを見ている人達も感じていることを、配信しているこちら側も感じるものなんですね。
こうした、その瞬間に他の誰かもいっしょに感じていることが伝わってくるのが、これまでにはなかった体験です。ライブ動画ならではの感覚だと思います。
ところで、私がPeriscopeにはまり込んだキッカケは、パリで発生したテロ事件です。フォローしていたパリ在住の方のお住まいの直ぐ近くで発生したため、事件の翌日だったでしょうか、まだ報道陣が集まる前に、彼女が現場周辺をライブで配信したのです。
画面から流れてくる銃弾の跡。彼女の口からは”Oh, my god… oh my god…”と。あまりの衝撃に、その時に私の中で何が起きているのか、理解できなかったと思います。
でもその後に、メディアから流れてくる報道を見て、逆にテレビの本質を理解できたように思いました。テレビの報道番組では、感情を入れてはならないのです。
そりゃそうですよね?報道番組に感情を入れてしまっては、誘導的になりますし、極端な場合には扇動的にすらなってしまいます。
話は飛躍しますが、フェイスブック・ライブでは、1億5000万以上の視聴数になったライブ動画のことが話題になりました。私も録画を見ましたが、この動画を見た人の多くは、天真爛漫な彼女の笑いと一緒になって笑ったはずなのです。
感情がストレートに伝わりやすい、それがライブ動画だと、今ではそう理解しています。
◆ 「これを見せたい」は、エゴである
Periscope (ペリスコープ)での発信を続けてきて最近気付いたことは、「日本からの発信なのだから・・・」というのは、完全にこちら側のエゴだということです。

よく考えてみると、お花好きにとっては日本的かどうかということは、あまり関係ないですよね。それに、普段のありのままを発信するほうが、こちら側としては気楽ですし、その気楽さがライブで見てくれている人達にも自然と伝わるということもわかってきました。
チューリップや水仙などの春花は、なんだかごく当たり前で、しかも洋花ですから、それが海外の人達にウケるとは思ってもいませんでした。
逆に、テレビ番組のように理路整然としていて、感情的なことまで含めた「ありのままさ」が全く排除されてしまったような発信内容だと、面白くないと感じるのが、Periscope なのかも知れません。
で、最近、もうひとつ気付いたことがあります。それは、何かを伝えようとすると、それまで目や耳に入らなかったことに自然と注意が向くようになるということです。毎年咲いていたはずなのに目に入っていなかった近所の藤の花はそのひとつです。
これは、ちょいとショックでもありました。というのも、藤の花が北海道にもあるということすら、私は知らなかったのです(滝汗) 。
動画発信をするということは、自分自身が丸見えになる、ということだったのです。それは画面に映し出された自分の姿だけではなくて、内面的なことも含めてなのです。
◆ コメントはコンテンツの畑である
ライブ動画の良いところは、視聴者からのコメントが沢山得られることです。
で、『コメントはコンテンツの畑』なのだそうです。これは、とあるアメリカ人マーケターの言葉なのですが、得られるコメントから、細かなニーズを読み取ることができる、という訳です。
よく言われることだと思いますが、DVDのセミナーなどを先に作ってしまって、その販売サイトへの誘導を考えるのではなくて、見てくれている人のニーズをくみ取りつつ最終的なプロダクトを作り込んでいく、というのが、アメリカでマーケター達がやっていることです。
だからこそ、「ライブ」動画なのです。
日本でこれを応用しようとすると、難しい面があるのは、ライブ配信を見てくれる人達が、今はまだじっと見入ってしまうことが多いことです。スマホに文字入力をすることに慣れていないと、タイミング良くコメントを入れることも、ままなりませんしね。
コメントいえば、私の経験で思い出すのが、昨年の札幌の雪祭りをライブ発信したときのことです。
札幌にお住まいのみなさんなら、雪祭りは、国際的によく知られているイベントだと思っているはずです。誰にそう言われたわけではないけど、そういう印象ですよね?
ところがこれが、大きな勘違いだったのです。3000人ほど見てくれた欧米人の中で、雪祭りを知っていたのは、たったひとりだったのです。しかもそのひとりは、奥さんが札幌出身のアメリカ人でした。
飛び込んでくるコメントも、「それ日本?」、「日本ってそんなに雪降るのか?」といった感じのコメントがとても多かったのには、がっかりというよりも、むしろ驚きでした。
多くの人達と、直接のやりとりができることを意味を思い知った出来事でした。
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